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[お知らせ]

3.11に寄せて。~10年後のいま

あの東日本大震災から10年目を迎えます。

東日本大震災の被害によって亡くなられた方々、震災によってご家族やお友だち、人生の大切なものを失ってしまった方々に対し、今日、あらためてご冥福を申し上げるとともに、哀悼の意を表します。

あれから10年が経ちますが復興と呼ぶには、まだまだの状況かと思います。今もなお被災・被害の影響を受けている方、悲しみや苦しみを抱え続けている皆様の一日も早い復興を、完全復興を心から祈念申し上げます。


2011年3月11日(金)14時46分、ここ栃木市もかなり強い揺れでした。屋根瓦の落ちた所、塀が倒れたところなどがあり、その後半年以上はブルーシートで応急処置した家屋が所々にありました。

宇都宮/栃木を結ぶ東武宇都宮線の鉄橋が崩落して不通でしたし、鉄道は相当の被害があったと思います。地盤あるいは地層の関係と思いますが、同じ栃木市内でも酷いところとそうでもない所の差が結構あったと記憶しています。

地震の瞬間、かなりの揺れで弊社物流センターの建物と建物の間が20~30cm開いたり詰まったりで、これは尋常ではないと感じました。社員全員、社屋から出て、屋外駐車場の真ん中で避難していました。

仙台や茨城等に出張していて顧客先で被災した営業スタッフもいました。

3.11の時ですが私は茨城県大洗町あたりを営業で回っておりました。大洗町を車で走っていた時、自分自身頭がおかしくなったのかなと錯覚するぐらいの揺れにあい、危ないと思い車を止めました。信号機も倒れそうな位の揺れで、両側から住宅の壁が崩れてきました。

揺れている間はなにも出来ず、揺れがおさまってから会社(栃木市)に電話を入れましたが繋がりませんでした。当時、私の妻は妊娠中で心配になり電話をしましたが同じく繋がりませんでした。

営業どころではないので、何をおいてもまず栃木に帰ろうと車を走らせましたが、信号機も止まっている状態です。そこかしこが車で大渋滞でした。

栃木の自宅に着いたのは、その日の夜です。栃木市内は停電で真っ暗な闇でした。街が不気味なほど静まり帰っていたのを覚えています。帰宅後の夜は停電が続き、自宅でロウソクに火を灯し過ごしました。そのあとどう過ごしたかはあまり覚えていません。

翌日以降、ホームセンターやスーパーには人が殺到し、懐中電灯、水、食品など生活用品がなくなっていきました。食べ物はカップ麺などを食べていた記憶です。ガソリンの供給もなくなり、ガソリンスタンドには車が列をなしていたのを覚えています。

営業中に被災した髙野 真澄(取締役部長)の談話

被害にあった方の中には、弊社のお客様も多くいます。東北の事務所が壊滅状態だったり、亡くなった方も。弊社事業のほうは受発注の混乱はもとより、停電の関係もあり、暗く寒い物流センターで、たくさん着込んで作業する時間が続きました。

以来毎年、福島・宮城・岩手各県に復興のお役に立てばと寄付(各10万円)を続けています。3県にはお客様も多く関わりの深いところでしたので、何か私たちにできることはないかと考え、現在にいたっています。継続できる限りは続けて行く所存です。

一方で10年も経つと、このように記憶も薄れ、忘れていることも多くなりました。しかし、私たちはこの一連の出来事・体験を風化させることなく、これを機に防災・減災と向き合い、よりよい社会、よりよいコミュニティづくりを目指さなければならないと思います。

2021年3月11日

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株式会社ウィズネット
代表取締役社長 薗田康司

10年目を迎える東日本大震災を忘れないために(参考資料)

復興5年ポータルサイト(復興庁)
https://www.reconstruction.go.jp/5year/index.html

復興10年ポータルサイト(復興庁)
https://www.reconstruction.go.jp/10year/

「3.11」を忘れない、これからの東日本大震災復興(株式会社GoodMorning)
https://camp-fire.jp/goodmorning/issues/311

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